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 No.537

三輪 薫(みわ かおる)


No.537 『生きる』/武士の家計簿 2011/1/1

先月、「わの会」展を終えた明くる日に久しぶりに映画を観た。橋本駅近くにあるシネコンの MOVIX で「武士の家計簿」を観たのだが、映画を観るのは8月の「インセプション」以来だった。この映画館は9スクリーンもあり、毎日15近い映画を上映していて、会員である僕らは2人で2000円。ネット予約で時間や席も指定でき、隣のビルの立体駐車場も3時間無料なのは嬉しい。

この映画、幕末の頃の実在の人の会計簿を元にして作った映画である。武士でありながら刀ではなく、御算用者として「そろばん」で生きた“そろばんバカ”と呼ばれた下級武士一家の慎ましい生活の奮闘が淡々と映されていた。くそ真面目一辺倒の主人公が一部の冷たい視線を浴びながら藩の財政をも切り盛りしていく姿を興味深く眺めていた。この一家、武家の主と息子二人の二年分の年収に相当する借金を抱えていた。武士のメンツを捨てて大半の家財道具や着物、武士の命とも言える刀さえも売り尽くしても尚、半分くらいの借金を抱えていた。奮闘を陰で支えてくれるのは妻で、時に何度か泪する場面もあり、地道に慎ましやかに生きるとは、こういうことなのだと改めて感じ入った次第だった。藩や家庭を守り育ててきたこの家系に生まれ育った家族の「生きる美学」も感じた。

僕が生まれ育った戦後の時代にも似たような記憶がある。今から思うと随分質素な生活で、衣類にはつぎが当たり、履いている靴も穴が空いているのが普通だった。新しく買ってもらう靴は当然のように長く履くことが前提でサイズが大きかった。成長した足の指先が当たって穴が開き、時には靴底にも穴が開くまで履き続けるのが当たり前の時代だった。いつの間にかこのような生活体験を忘れてしまっていたわけだ。慎ましやかに生きていたからこそ家族は愛で結ばれていたとも言える。生きる上で最も大切なことを思い出させてくれたような気がする。

少なくとも家族は心の愛で結ばれるべきだが、生活水準が上がった現在が何故か違う方向に進んでいる部分もあり、色々な問題を抱えている。生まれ育った年代によっても考え方は大きく違ってくるが、僕らの昭和20年代と30年代でも違うといわれている。もう平成時代に生まれ育った人とは考え方にも理解を超えるものがあっても不思議ではない気がする。写真界がデジタル化を迎える今、銀塩写真で育ち、デジタル化も体験しつつある僕らでも、デジタルしか経験のない世代の人の考え方にはついて行けないのと似ているような気がする。

この映画を観て思ったことに、借金まみれの日本の政治家や官僚にこそ、是非観て欲しいと感じた。一般企業や家庭ならとっくに破産している膨大な借金を抱えながらも、来年は過去最高の借金をする。何を考えているのか理解できない。政治家や官僚達ももっと慎ましやかに暮らすことを考えてもいいだろう。勿論、我々も同じである。今年こそ無駄な出費を抑え、思慮深く生きたいものだ。

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