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 No.544

三輪 薫(みわ かおる)


No.544 『生きる』/自然災害 2011/3/20

日本は火山帯の中に位置している地震国である。しかし、平穏な日々の中では常時自覚している訳でもなく、震災が起きてみて初めてそうだったのだと思い知ることが多いのではないだろうか。亡き母の故郷である兵庫県神戸市付近で1995年1月17日に起きた「阪神・淡路大震災」も、何処か遠い昔の出来事だったように思えてしまう。

東日本大震災が起きた11日午後2時46分には、長野県境に近い岐阜県の平湯バスセンターの駐車場にいた。ドスンというような音が聞こえたような気がする。目の前の木立の幹と枝葉が少し揺れていた。もしかして地震かもと思いながら上高地入口に抜ける安房トンネルに向かって走り、入口の表示を見て知った。そのまま松本に出て、高速道路に入って帰宅の途についたのだが、途中閉鎖の部分もあり、大渋滞となって自宅に着いたのは午前1時半頃だった。相模原市のあちこちで停電になっていることは息子からのメールで知っていたが、停電だから勿論信号機も点灯していなく、主な交差点には警察官が誘導していた。

帰宅途中の大渋滞の中、ナビのTVで見た津波の映像に愕然とした。帰宅後には停電の中、熊避け用に買っていた携帯ラジオから流れる情報に釘付けになっていた。それにしても今回の大地震、マグニチュード9とは驚きを通り越している。TVに映し出される津波の凄まじさはこの世のものとは到底思えない。SF映画のワンシーンを思わせ、なかなか実感としてとらえるまでには時間が掛かった。まさか日本でこのような凄い津波を受けるなどと誰が想像しただろうか。しかし、今回初めて知ったのだが、1896年(明治29年)6月15日7時32分に発生した「明治三陸地震」の津波は波高38.2mを記録している。

今回は南北/500km、東西/200kmもの広範囲で起きたことなど専門家でも想定外のことかも知れない。しかし、福島原発の問題では過去の津波の事実と教訓がもっと生かされていたらと思ってしまう。次々と報告される映像には驚くばかりで、被災された方々の心境も当事者にしか分からないだろう。

今回は二日連続で地震が起き、ビックリした。12日午前3時59分には、長年通い続けている長野県栄村で起きた。東日本大震災が余りにも尋常ではない有様で、栄村の情報は少なく、何人かの知人にも連絡が付かずに心配していた。やっと電話がつながって、地震の程度の割には家屋の倒壊もけが人も少なく、死亡者が奇跡的にもいなかったとのことでほっとした。

相模原市でも近頃では小さいとはいえ地震が続いているが、大きな地震の被災者でない者にとっては実に幸せなことで、この事実を真摯に受け止めたいと思っている。今、僕たちに何が出来るのだろうか。何をするべきなのだろうか。頻繁に来るヤマト運輸の運転手さんに尋ねても、多くの被災地には配達できないと言われた。妻の実家の茨城県鹿嶋市でさえ同じで、当初は断水で水も出なく、ガソリンも補充できない状態だった。生活不安は募るばかりのようだ。それに比べ、スーパーマーケットから米、麺類、保存食などが消え、ガソリンの補給がままならなくても、大きな被災を受けなかった地域に住む者はラッキーと思うべきである。そう言う立場の者からは、津波の被災をされた方々への言葉も見つからない。

それにしても被災地や原発で奮闘している自衛隊員、消防士、警察官などの方々には頭が下がる。住民を助けるために役場に残った職員などが行方不明。社員を安全な場所に導いた社長も行方不明。津波にあった住民を助けに行った警察官も行方不明、、、との話も聞く。原発に残って奮闘している社員も、職責だからと言っても大変である。全ての人が命がけで、もし自分がこの立場だったら、このような方々と同じ行動を取ることが出来るかどうか、はなはだ自信がない。

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