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 No.547

三輪 薫(みわ かおる)


No.547 『生きる』/エコな生活 2011/4/10

1896年(明治29年)6月15日に発生した「明治三陸地震」の津波では、岩手県大船渡市の綾里で波高38.2m、吉浜では24.4m、宮古市の田老では14.6mを記録していることを今回の新聞記事で初めて知った。想像が付かない驚異的な津波だ。

今回の大震災で、便利な世の中のインフラが崩壊した時の生活のもろさを今更ながら思い知った。子供の頃の関ヶ原の実家では、水道はなく井戸水。水洗ではない屋外にある別棟のトイレ。煮炊きは「おくどさん」と呼んでいた3口の竈(かまど)と炭火のコンロだった。すき焼きなども、居間に炭火コンロを持ち込んで食べていた。小学校3-4年生の頃(1957年頃)に、やっとプロパンガスが入り、手桶で汲んでいた井戸水も電動ポンプで蛇口から出るようになったと記憶している。水道が導入されたのはもっと後だったように思う。

かまどの燃料は、山の地面に落ちている松葉や落ち葉、小枝を集めてきた。小枝を外側にして中に落ち葉を入れてまとめて縛り、母と一緒に背負って自宅に運んだことが数知れない。通学していた小学校の玄関前にあった二宮尊徳像と同じスタイルだ。違うのは本を読み、勉強しながらのスタイルで歩いていなかっただけである。秋以降では籾殻も燃料にしていた。メインの燃料は間伐材や雑木の割木だった。しかし、現在かまどで生活するには、焚き火禁止の地域では無理かも知れないし、限られた地域しかできないだろう。こんな生活をしてきたことを結婚後に話していたら、松江市で生まれ育ち、10歳頃に名古屋の近郊に引っ越してきた妻に「まるで江戸時代みたいだ」と言われてしまった。しかし、このほうがまさかの時には強く、実にエコな生活とも言える。

毎年のように個展の巡回展を開催している伊勢市の伊勢和紙館の前には、手こぎポンプ式の井戸がある。2月に伊勢和紙ギャラリーでの巡回展に行った折、社長の奥さんが水を入れて試していた。長年使っていないと言うことで、この時は上手く出なかったが、こういう井戸はなくなるばかりである。上手く復活させると、いざという時には多くの人達の助けになるだろう。小田原市のかまぼこ屋さんの店には井戸水が出ていて、誰にでも水が汲めるように開放されている。遠くは都内からも来ているところをTVで放映していた。

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