Toppageへ
 No.558

三輪 薫(みわ かおる)


No.558 『創る』/フォトコンテストの合同審査 2011/7/20

今まで、何度も合同審査を体験しているが、多くの分野を撮影して作品を発表している審査員ばかりではなく、風景とか人物しか撮っていない審査員もいる。撮っていない分野の作品をどれだけ理解でき、評価できるのかは僕には分からない。だから、もし僕が自然風景しか撮っていなく、その作品しか発表していなかったら、審査する自信をしっかり持てないかもしれない。そのような気持ちでは応募者に対して実に失礼なことだと思う。しかし、僕は心象風景の個展でデビューし、ルポルタージュやスナップ、造形写真、ファインプリントの個展も開催し、コマーシャルフォトや博物館や美術館などの仕事も体験しているので、広い視野で評価をする自信はある。

コンテストの数人による合同審査にも多少疑問を感じることもある。5人6人と多くの審査員がいる場合は見解の相違も平均化され、選考の間違いを防ぐことが出来るだろう。しかし、2人3人くらいの人数では見解もまとまりにくく、お互いが譲らない限りはいつまで経っても平行線をたどることになり、審査は終わらない。今回の審査でもそのような部分があり、結局は特に入賞作品に関してはお互いが半数の作品を選ぶことを提案した。作品表現には算数のように割り切れない部分があり、評価への絶対もない。審査員同士、お互いの審査基準への疑問を感じても仕方がない部分もある。

合同審査でのコンテストでは、選考結果からは誰がどのように選考したのかが見えてこない気がする。2人の審査員なら、いっそのこと1人に任せ、選考の全責任を選者にゆだねたほうが選考責任もはっきりし、応募者も結果に納得するかも知れない。しかし、歴史を越えた視点と判断で作品を評価し、審査をすることは難しい。作品の評価基準が明確なら、ゴッホやゴーギャンなどの作品が現在多大な評価を得ることは考えられないことだからである。

戻る