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 No.568

三輪 薫(みわ かおる)


No.568 『生きる』/結婚式と披露宴 2011/11/1

僕らは信者ではないが結構大きな教会で式を挙げた。披露宴は兎も角として、式には1人でも多く来て欲しいと思っていたからである。この判断は正解だったと思っている。妻は友達のウエディングドレスを借り、僕は略礼服を知人の紹介で格安で買うことができた。この服は、結婚後7年半勤めた写真学校で、入学式、卒業式などで着ていて、元は取れたと思っている。

僕らの結婚式や披露宴は親かがりで、当時は何も疑問を感じていなかった。今思うと何と無駄なお金を使った、いや、親に使わせたのかと思ってしまう。特に披露宴での出費は、どれくらい掛かったのか全く覚えていない。名古屋駅前の立派なホテルだったから、それなりに掛かったと思っている。今思うと浪費したようにさえ思えてしまう。当時の自分の立場をわきまえて、もっと質素に行い、目指す人生に投資していたら今現在の生き方も多少は違っていたかも知れない。裕福でない者には親が出してくれたとはいえ、使い方を誤ると後悔につながってくる。実に勿体ないことだったと思っている。

しかし、嫁の立場では、特に母親の夢もある。娘にはそれなりの花嫁衣装、着物姿も見てみたいということもあるようだ。当時の妻の両親は社宅住まいで、とても裕福とは言えない状態だったはずだが、一人娘の花嫁姿を見たい一心で大枚はたいたようだった。僕達で結婚式の費用を用意したわけではなく、この件に関しては、何も言う権利はない。

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