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 No.572

三輪 薫(みわ かおる)


No.572 『生きる』/いじめ-2 2011/12/10

僕らの時代の田舎の中学校では、本当のことかどうかは知らないが、先生は資格のない科目までも受け持つのも当たり前だったと聞いていた。だからか、中学校とはいえ、先生によっては間違った授業内容もあった。これを逆手にとって、先生の間違いを指摘する「先生いじめ」を結構楽しんでいたこともある。

3年生になると高校受験の模擬試験が定期的にあった。僕の学年は4クラスで、模擬試験の成績は4クラスの中では余りよくなかったようだ。これを利用して悪友達と画策したことがある。頑張って勉強し、最低を返上したり、わざと回答を間違えて平均点を下げたりと、今思うとばかげた悪さをしていた。また、この模擬試験だが、志望校を書くと序列が示される。当時岐阜県ナンバーワンの岐阜校と書けば一体何番になるか分からず、本番の受験ではないので模擬試験毎に志望校のランクを下げ、1番を獲得できる学校を次々と選び、「ふざけるな」と怒られたこともある。点数を見れば本命の志望校のランクはデータで分かる。明記される序列は1番のほうが絶対気持ちがいい。ただそれだけのことで、僕には楽しい遊びだった。

しかし、この悪ふざけの報いが高校生時代にやって来た。模擬試験で1番を獲得していた本命だった工業高校ではなく、担任の先生の誘導に乗ってしまい、当時の岐阜県の2番手か3番手の進学校を受験してしまった。それほど一生懸命に勉強したという記憶はないが、1桁に近いレベルで合格していた。しかし、希望とは違った高校に入学したのを後悔し、何事にも感心がなくなり、授業にも集中できなかった。また、中学卒業前に身体をこわして通院中で、高校1年時の体育の授業はずっと見学だった。高校時代は何となくだらだらと過ごしていたような気がする。だから、いい思い出が全くない。当然のことながら入学時に比べ、二期生の9クラスあったクラスの中でも雪崩のごとく落ちる一方で、多分入学時からすると落ちたランクはこの高校の新記録だったのではないかと思っているほどだ。これをみんなの前で指摘され、中学時代とは違ういじめを先生から受けていた。プライドだけは高かった当時の僕にはこれも大変辛く、益々勢いを増して落ちていった。しかし、入学した高校と自分に絶望し、大学進学を止めたことによって現在の自分がある。3年生時の担任の先生は逆にサボりまくった現在の僕を誇りに思ってくれているようで、人生何が幸いかは分からない。これも面白い。

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