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 No.573

三輪 薫(みわ かおる)


No.573 『生きる』/いじめと縦系列の子供社会 2011/12/20

8月のお盆を過ぎたころ、妻の現在の実家である茨城県鹿嶋に行った折、帰路に阿見町にある「予科練平和記念館」に寄ってきた。土門拳の写真展を開催しているという情報を知人が知らせてくれたからだ。土門拳が依頼された仕事とは言え、予科練を撮影していたとは知らなかった。この写真展会場には、予科練の写真だけではなく、戦後の日本を記録した数々の写真が展示してあった。この中に子供の写真も多くあり、無邪気に遊ぶ姿は僕の子供の頃の遊ぶ姿に似ていて、懐かしい思いで眺めていた。

現在の子供達が外で遊びまくっている姿を見ることは少ないが、僕らの子供の頃には保育園に通っているような小さな子から中学生までくらいが、いつも一緒に遊んでいた。当時は同学年くらいの年齢の子供達だけの横系列ではなく、年齢差が大きい縦系列の子供社会だった。だから、子供とは言え先輩から教えられ、命令されながらも社会というものは何かと知らず知らずのうちに学び、身につけてきたものも多い気がする。土門拳の写真の中にも写っている。

昨年は3月の震災以降、撮影する心境に例年並みに入ることがどうにも出来なく、撮影日数は少なかった。しかし、今年は例年並には出掛けたいと思っている。出掛けることも被災地への支援につながるからだ。 こういう子供社会の中では、例え喧嘩やいじめがあっても、年上の者が仲裁に入り、うまく納めてしまう仕組みがあった。その子供達を眺めながら、家族を越えた立場で見つめていたのが大人達だった。だから、他人の子供であっても自分の子供と同様に叱り、温かい心で接していた。結果として、引きこもりや自殺などと言う陰湿な精神状態になる子供はいないか、いても極少数だったと思っている。生活が便利になり、物資も豊かになっても、子供とは言え健全な生活ができていない今と比べ、何といい日々だったのだろうかと思ってしまう。

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