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 No.610

三輪 薫(みわ かおる)


No.610 『創る』/デジタル元年−2 2013/2/5

デジタル化を迎えた映像世界や文学の世界はどうだろうか。銀塩のフイルム撮影の写真や映画は元画像のフイルムがある限りこの世から消えることはない。しかし、ビデオテープの画像を再生する機器が消えつつある現在、ビデオテープはゴミになるだけだ。同じようにデジタル画像も何時の日か記録や再生方式が変われば見ることが不可能になることもある。

また、原発がトイレのないマンションといわれているように、デジタル画像もフィルムと同様な長期保存に耐える方法が確立されていないままに撮影だけがどんどん進んでいっている。大丈夫なのだろうか。小説などの文字文化の世界も、紙に印刷されないままに過ぎて行けば、あの頃このような小説があった、あったらしいとの記憶だけで消え去ってしまう心配がつきまとう。デジタルだからこそ、アナログを越えた記録性を発揮してもらいたいものである。でなければ、進化と思っているデジタル化は逆に後悔しか生まないことになってしまい、文化の消滅を意味することにもつながってくるような気がする。

先日山田洋次監督の「東京家族」を観たのだが、橋本駅近くにあるシネコンだったのでデジタル画像のようだ。しかし、山田監督はフィルム派だと思うので撮影の元画像はフィルムで、シネコンでの上映用にデジタル画像も用意しているのだろうか。それなら保存にも安心であり、上映用の画像がフィルムとデジタルの両方あればフィルム専用の映画館が廃業に追い込まれることはない。

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