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 No.616

三輪 薫(みわ かおる)


No.616 『生きる』/ものの整理と無駄な生活 2013/6/5

40年ほど前、上京したときには6畳一間の生活で、割とシンプルな生活振りだった。引っ越す度に広さは倍になったが、広くなった分何かを買い求めては置き続ける生活。結局部屋が広くなったわけではなく、物が増えるだけのことだった。このことに気がついた時には、もう物で身動きが取れない状態までになっていた。

インテリアの雑誌やTV番組での家の紹介では、僕の観点からするとまるで生活感がないように見える実にすっきりした部屋ばかりで、どうしたらこのような日常生活が出来るのだろうかと考えてしまう。まあ、旅先ではもっと少ない物だけで過ごしているわけで、毎日の生活をここまで割り切って考えれば不可能ということはないのかも知れない。

田舎と違って都市部は税金も高く、持ち家には固定資産税もかかり、広さの割には田舎よりも高く課せられる。これはちょっとどころか、大変変なことだと思っている。狭いところで暮らしている、暮らさざるを得ない人のほうが高い税金を払い、地域によっては超広大な屋敷と家でも超格安の税で済むこともある。だからか、税金の高い地域で暮らしている人は、実質ゴミ同様の物を溢れさせた生活は実に無駄で、ゴミに税金を払っているに等しいと指摘する人がいる。いわれてみれば納得で、使いもしない物でも捨てられず、後生大事に持っているのはばかげたことで、折角確保した空間も活用されずにいることは実に勿体ないことといえるだろう。

物を大切に使うことは「勿体ない!」精神からもきているが、この「勿体ない」の気持ちが物を捨てられず(処分できず)に現在の生活に必用ではなくても身近にあふれさせることにつながっている。だから、ゴミ?に税金を払う羽目になり、実に勿体ないことおびただしい。

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