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 No.618

三輪 薫(みわ かおる)


No.618 『生きる』/時代の移り変わり〜檜枝岐〜 2013/7/25

1972年に大内宿に行った時、尾瀬への北の入口にあたる檜枝岐にも訪れた。1972年の当時はほぼ全村の家々が茅葺きの曲がり家で、林業と畑作だけが生きる道だったように記憶している。役場の方とお会いした時、「このまま保存すれば末永く観光で食っていけるかもしれない」とお話ししたことを覚えている。しかし、10年後には茅葺き屋根の家は全て普通の建物に改築され、役場の隣に保存家屋として1軒残されただけだった。その家も火事で焼失して今はない。もし檜枝岐も大内宿のように多く茅葺き屋根で残っていたら、尾瀬が近いこともあり大内宿よりも栄えていたかも知れない。日々の生活には多少不便かも知れないが、世にも貴重な家並みを残すだけでも孫子の時代までの生活が保障されると考えればこの選択も当たりだったかもと思ってしまう。いいものは残し、いつまでも使い続けたい。

この時、現在ではこの村の観光の目玉となっている檜枝岐歌舞伎も観ることが出来た。しかし、40年前の当時は歌舞伎を見て楽しんでいるのは住んでいる村人か、都会などに出て働いて帰郷した人が大半で、僕らのようなよそ者は数えるくらいにしかいなかったように記憶している。だから、演じる人も観る人も素朴そのものだった。鎮守神社にある茅葺きの舞台は村人のためにあり、山を背にして建っていた。しかし、観光事業と化したように思える現在では、より多くの人が観ることが出来るようにとの理由でか山に向かって逆方向に移築されて背後に民家が見える。昔の佇まいのほうが檜枝岐らしい情緒を感じる。

この時の取材を元にして撮影を重ね、1983年に「奥会津十年一昔」と題して新宿のミノルタフォトスペースでモノクロの個展を開催した。

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