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 No.637

三輪 薫(みわ かおる)


No.637 『生きる』/恩師、永眠 2015/4/3

先月下旬、写真家の詫間高夫先生が亡くなったとのお知らせの葉書が届いた。故人の希望で葬儀は近親者だけで済ませたとあった。詫間先生には名古屋の日本デザイナー学院写真学科で学んでいたときの一学年で写真の基礎や概論などを教えていただいた。授業は聞くこと全てがとても新鮮で、実にエネルギッシュな講義だった。何時の頃からか先生の事務所やご自宅に入り浸りになり、当時とても買えなかった写真集を見せていただいたりした。また、当時はお酒には大変弱く、先生や先輩達とのお付き合いで飲み、正体不明になって気がついたら先生宅の寝室で、ビックリし、恐縮したこともある。これらのことが懐かしく思い出される。二年に進級した間なしに先生の東北・奥会津の取材に助手として同行した。時間があるときは三輪君も撮ったらと言われ、広角の28ミリレンズ付きのコーワSWとキヤノンFTbにFL100ミリを付けて持って行った。その時撮影した作品をベースに追加取材して開催した個展が「奥会津十年一昔」である。

詫間先生は僕たちの仲人親でもあり、僕が個展やカメラ誌などで作品を発表すると電話をくれ、何かと励まされた。卒後上京し、通常お会いする機会は少なくなったが、東京での個展や名古屋での巡回展などでお会いできたのが嬉しかった。先生は細身ながらも驚くほどバイタリティーに溢れた方で、近年はお化けみたいだと言っていたものだ。80歳を超えてもそのようには見えず、意気軒昂さは変わらなかった。しかし、最後になった昨年9月に名古屋のご自宅に伺ったときは多分89歳で、さすが細くなられ、病後とのことで多少の弱々しさを感じた。しかし、結構な時間話していたのだが、以前の姿を思い起こすほどになり、魂の若さに驚いたものである。9月には滋賀県で「わの会」東海支部撮影会があり、この折りにも伺うつもりだっただけにもうお会いできないのは残念である。

僕も今年は67歳を迎える。この歳になると身近な人達が少しずつ他界され、寂しくなるのは仕方がないことと思う。先月上旬にはフリーになって初めて講師を務めた吉祥寺駅前にあったカルチャースクールからの30年近いお付き合いで、僕の個展の受付嬢を長年務めてくれた勝山由子さんも突然亡くなってしまった。2月にはご一緒に北海道撮影ツアーに行っていただけにビックリの訃報だった。恩師の詫間先生も、勝山さんも精一杯生きた方で、僕も悔いなく生きたいと思っている。4月16日から四谷のポートレートギャラリーで開催のフォトワークショップ「風」写真展には勝山さんの作品も3点展示する。勝山さんにとって、これが最後の作品展示になるかも知れない。

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