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 No.641

三輪 薫(みわ かおる)


No.641 『生きる』/文明の利器 2015/9/13

団塊の世代と言われる戦後生まれの僕らの子供の頃には、故郷の関ヶ原では自家用車を持っている家庭は極少なく、テレビでさえ各家庭にあったわけではない。我が家にテレビがやってきたのは東京オリンピックが開催された直前の1964年9月ころだったように記憶している。勿論と言っては何だが、近所で最も遅かったようだ。今年の夏はかなり蒸し暑く感じたが、子供の頃にはクーラーなどなく、団扇やせいぜい扇風機だった。実家の母屋は20才ころまで茅葺き屋根で、断熱効果が高いのか意外や瓦屋根の家に比べ多少は涼しかったように思う。近所の人が昼寝をしに来ていた記憶もある。冬は30畳近い土間があったせいかかなり冷え込んだ。暖房も灯油のストーブが小さい頃から備わっていたわけではなく、炭の火鉢が唯一の暖房器具だった。建具にしても密閉性のよい現代の家と違ってすきま風が常時入ってくるのが当たり前で、水道もなくつるべで井戸から汲み上げた水を大きな瓶に入れて使っていた。まるで江戸時代に近いような生活だったのだねと妻に言われても仕方がないが、そんなものだと思って暮らしていた。

55年過ぎた現在、生活全般が進化し、実に暮らしやすい時代になっている。車もエアコンがあるのが当たり前であるが、1970年代に乗っていた車にはクーラーも装備されていなく、エアコンはまだ世の中にはなかったように記憶している。運転席と助手席の両側の窓には上下に動く大きなガラスの前に三角窓があり、斜めに開けると外の風を受けて室内に入ってきて結構涼しかった。地球全体の気温も現在より低かったこともあるが、真夏でもこの三角窓を開けて走っているとそれなりに涼しく感じたものである。このようなことを書いているのは、実は今月初めに琵琶湖周辺で「わの会」東海支部の撮影会があって出かけた初日にVW T-4 のエアコンが故障してしまい、外気温が30℃くらいの実に蒸し暑い日が続き参ってしまった。現在の車には三角窓がなく、窓を開けても程よく風が入り込んでこない。自宅や車でもエアコンのある生活に慣れた身体にはエアコンなしでは実に大変である。7月には仕事部屋のエアコンも故障し、修理が済むまでは日中はこの部屋にいることが苦痛だったくらいである。

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